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1990年発行の「中医臨床」誌通刊42号(東洋学術出版社)に発表論文

 

中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤

                             村田恭介

 中医学の特徴の一つに、手許に十分な中草薬が無い場合でも、弁証論治に基づいた代替品を利用することで、一定レベルの治療効果を確保することを可能にする融通性がある、と私は思っている。例えば、天麻が手許に無い場合、肝風内動による痙攣や震えには釣藤鈎、白僵蚕等で代用し、肝陽上亢から生じた眩暈、頭痛等では代赭石、石決明等で代替する、といった類である。
  数ある中医学の特徴の中で、このことは一見些末なことのように思えるが、限りある天然資源のことを思うと、日頃から代替品の研究と応用は身つにけておく必要があると思う。そして、その一つの代替の方法として、エキス剤等の既成品を利用して多くの疾患に対処することは、一定レベルの治療効果を確保できるものであるなら、服用者の便利さと共に、仕事上の能率の点からも好ましいものであろう。

              基本方剤の模倣

 例えば一つの問題として、中医学における基本方剤を日本で製造されているエキス剤等の既成品だけで代用することは不可能なものであろうか。
 血府逐お湯を使用したい時に、四逆散料合折衝飲各エキス合方で、地黄、桔梗に不足はあるものの、一応の基本的な効果は十分期待出来るようである。一般的にも既に広く行われている気虚血お証に補中益気湯合桂枝茯苓湯各エキス合方などは、時には補陽還五湯の代用品として通用出来なくもない。桃紅四物湯などは、桂枝茯苓丸料合四物湯各エキス合方。天麻鈎藤飲は、釣藤散料合黄連解毒湯合六味丸料各エキス合方。独活寄生湯は、疏経活血湯エキスと海馬補腎丸との合方。
 一部は牽強府会に過ぎる感はあるにせよ、弁証論治の基本から大きく外れなければ、代替品としての利用価値は計り知れない。
           「異病同治」について

 日本の古方派について、中医学派が多少とも注目に値する点があるとしたら、基本方剤をあまり手を加えずに徹底的に応用しようとする精神であろう。基礎理論の点で多くの問題があるにせよ、一つの基本的な方剤を大切にする精神は、ともすれば実際の臨床時において基本方剤の考察を忘れがちな者には、よい警鐘となるかも知れない。
 例えば、少しは経験を積んだ古方派にとっては、桂枝茯苓丸料エキス単方のみによって、一人の女性患者に合併する気管支喘息、頭痛、吹き出物、乗り物酔いを同時に治癒或いは軽快させる類のことは、それほど珍しいことではない。同じように、柴胡桂枝湯エキス単方によって小児喘息、夜尿症、自家中毒を同時に治癒或いは軽快させることなどは比較的多いものである。

 更に、古方派の行う経方単方による難治性疾患に対する治療例については、十分注目に値すると思われる。古方派の投与した方剤がどうして著効を奏したか、中医学的にはどのように解釈、説明が成り立つものか。この作業は、これからの日本の中医学派の行わなければならない課題であると同時にまた義務であると思われる。
 私自身の課題としても、過去に経験したことでありながら、桂枝茯苓丸料による気管支喘息等の多種合併する症候が治癒したメカニズムを中医学的に十分解明する能力を持てるようにならなければ、過去、古方派であった経験を活かすことが出来ないと思っている。

 ところで、敢えて極論させて頂ければ、中医学は「同病異治」の医学であり、古方派漢方は「異病同治」の世界であると言えると思う。従って、中医学は、《金匱要略》の世界を発展させたものであり、古方派漢方は《傷寒論》の世界を日本人独自の方法で発展させ、或いは踏襲したものと言えると思う。
 中国における傷寒論の研究は、過去の日本における研究人を遥かに上回る多数の人々による成果が堆積している筈であるが、一体、「異病同治」に対する研究は十分なされて来たと言えるのであろうか?

 張仲景は《傷寒論》において、外感疾患の伝変法則を検討する形式を取りながら、〈臓腑経絡を綱領として病機分析を進める方法〉の道を開き、世に知らしめた。一方、《金匱要略》においては、《傷寒論》と同様に臓腑の生理病理を根拠としてはいるが、病の種類別に病機を検討する構成をとっている。従って、《金匱要略》においては、《傷寒論》では存在しなかった「病名分類」が重要な位置を占めている。
 かくして、仲景は《傷寒論》を経とし、《金匱要略》を緯として、二書を縦横に連繋させ、以後の医学界に道標となる模範を示した。
 ところが、金元時代から学科の分化が始まって以後、病名別に病理を探求する方式が中心となり、《金匱要略》を基礎とした「同病異治」の理論研究が主体となったまま現在に至り、そして、それが中医学の基本的な特徴とさえなった観を呈しているようだ。

 つまりは、〈それぞれ異なった病機に同一の症状が出現する〉ことに対する治療方法の研究が、現在に至っても中心的な研究対象となっている現実は否定出来ない。
 反面、〈同一の病機においても多種類の症状が現われる〉ものであるが、この「異病同治」に直結する明確な概念の追及は明らかに遅れを取っている。仲景が示した模範を十分に発展させて来たとは言い難く、片手落ちの発展方向にあった過去から現在までの状況を認めざるを得ない。

        中医学と日本漢方の接点

 翻って、基礎理論が乏しいと言われる日本漢方ではあっても、日本漢方なりの独自の《傷寒論》研究により、〈「異病同治」こそ臨床的な現実である〉とした実践が多く行われて来た事実を認識する必要がある。たとえ、それが中医学の基礎理論なしに行われ、東洋医学からは異端なものであるにせよ。

 「異病同治」の基本概念は、当然のことながら《傷寒論》が鍵を握っている訳であるが、かくして日本古方派の《傷寒論》に対する精神と臨床実践は、この分野に対する有益なヒントを与えるものとなろう。日本の古方派の難治性疾患に対する著効例を、中医学的に詳細に解説できるようになれば、自ずから「異病同治」に対する概念の追及に大きな示唆を与えるに違いない。

 但し、この作業はお互いの派の協力が必要となるだけに、多くの困難が予測されるが、将来、必ずや行わなければならないことである。その気にさえなれば中医学理論に明るい者にとっては、それほど困難な作業とは決して思えない。
 中医学を更に発達させる素材が、この日本国内の足下にころがっていることを認識してほしいと思うのである。

        中医学の一部であるべき日本漢方

 ここで特に指摘しておきたいことは、日本の漢方も中国の伝統医学の一部でなければならず、従って日本の漢方は中医学の中に包括されるべきものである、ということである。さもなければ、日本の伝統医学は東洋医学における異端児のまま、更には現実に見られるように西洋医学化という邪道に陥り、いよいよ本質を忘れた似非東洋医学に堕するばかりとなろう。
 日本の漢方も本来あるべき中医学の一部として、中医学の基礎理論を持つべきであり、上記に述べた中医学における「異病同治」の概念を深く追及する足掛かりとする為にも、是非とも必要なことのように思われる。

         「異病同治」を追及する意義

 「異病同治」の概念を明確にして行くことの意義は、「病機体系」を発展的に整理し、中医学的な病名を特定できないような複雑な難治性疾患の克服に、多くの解決の糸口を与えるであろうという点にある。卑近な例では、天麻鈎藤飲加味方によって、一般の本態性高血圧患者ばかりでなく、透析治療寸前の患者の経過を好転させ、あらゆる漢方治療に抵抗を示していたB型肝炎患者を全治に近い状態にまで好転させている最近の私の経験は、この「異病同治」の実践に他ならない。
 また、現在のエキス剤等の既製品については、方剤の種類に不足があるとはいえ、応用範囲が更に拡大されることにもなり、煎薬投与の必要性を多くの点で緩和して呉れることにもなろう。
 更には重大な岐路に立つ日本漢方に、本来あるべき中医学の一部としての基礎理論を付与することになり、東洋医学としての名に恥じない新たな日本漢方として蘇生することにもなろう。

             むすび

 古方派から中医学に鞍替えしてしまった転向組の私には、古方派の欠点も長所も、共によく見えているつもりである。そこで、本音を言わせて戴けば、現状のままでは、日本漢方は基礎理論が乏し過ぎるし、東洋医学と言えるような学問的な論理性も発展性も乏しく、閉塞状態に近い存在であると思っている。と言っても、これまで述べてきたように、長所が全く無い訳ではない。

 ところで、本論で指摘したように、中医学の長い歴史において、不思議におろそかにされてきたと思われる「異病同治」に対する詳細な研究、せっかく仲景が模範を示した《傷寒論》の基本理念である〈臓腑経絡を綱領として病機分析を進める方法〉を基礎として病理の研究を行い、未整理のままの「病機体系」を確立させようとはして来なかった現実。この点については、実は「中医病機治法学」(四川科学技術出版社発行)の総論において、「病機の分析において存在する三つの問題」の中の第二番目の問題として指摘されており、これらの問題定義から生まれた書物が陳潮祖先生の大著「中医病機治法学」なのである。

 従って、拙論の論旨の一部はこの大著の学習に負うものもあるが、管見からすると、更に深く追及し完璧を期す為には、日本の古方派の思想の中にヒントが隠されていると思うのである。
 古方派の行う臨床例の中医学的な解読を行うことが出来なければ、中医学もまだまだ不完全なものと言わざるを得ないことになろう。
 逆に、このことが可能なものであるなら、「異病同治」の概念を更に明確化することに繋がり、「中医病機体系」を更に充実させる為の一つの足掛かりとなるに違いない。

 同時に、経方が中心となっているエキス剤にも応用範囲が更に拡がり、エキス剤が中医学と日本漢方の接点となることも指摘したかったのである。 かくして、東洋医学の基礎概念の欠落が顕著な日本漢方の主流である古方派漢方も、本来あるべき中医学の一部として、真の東洋医学の位置へ復帰することが出来ると思うのである。

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