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漢方薬小論文集

 小柴胡湯問題が勃発する以前に警告していた19年前の拙論。

和漢薬誌419号(1988年4月号)の巻頭論文  
        

漢方経験雑録--小柴胡湯と肝臓病



 最近は一般新聞や雑誌等に漢方薬の情報が氾濫しています。これらを読んだ一般読者は記事内容を鵜呑みにして、漢方処方を指名買いされます。
 中でも慢性肝炎には小柴胡湯が良く効く、との情報はいよいよ広まり、一般の病院、医院の先生方も肝炎患者に小柴胡湯を投与される話が、我々の所にも直接伝わって来ます。主だった医療機関で、肝炎患者に対する小柴胡湯の臨床効果がためされ、GOTやGPTがどのくらいの期間で、どのように改善されたか等の研究、というより統計が出され、色々と発表されているようです。
 さて、一般に報道されているほど小柴胡湯が肝炎に有効なものなのでしょうか? 漢方的な「証」の問題もさることながら、日本流で言う「小柴胡湯証」と見られる病者に限って考察したにせよ、いわゆる慢性肝炎に対してそれほど有効なものなのでしょうか? たとえ多くの臨床データーを突きつけられても、私にはもう一つ納得出来ないのです。
 私がここで頑迷とも思える疑問を提出するには、それなりの理由があります。漢方専門の薬局を開設してから十五年。開局当初は昨今ほどではないにせよ、それでも慢性肝炎に悩む病者はかなり多く、私も御他聞にもれず求めに応じて頻繁に小柴胡湯を出しておりました。少し知恵がついてからは、 瘀血証の明らかに存在する人には桂枝茯苓湯を併用してもらうこともありました。
 今、過去の経験を思い出すに、開局当初から五年間くらいの慢性肝炎に対する成績は、実に苦々しいものばかりでした。あれほど頻繁に出していた小柴胡湯の単方は、慢性肝炎に対して一度も効いた、あるいは有効であった、との思い出が全くと言ってよいほどありませんでした。これは決して誇張ではなく、当時の私自身のレベルの低さを正直に告白しているだけです。肝炎に対する小柴胡湯の効果を過大に期待し過ぎていたのです。
 桂枝茯苓湯を併用してもらった例では、検査データーがむしろ悪化した例さえ思い出します。(桂枝茯苓湯中の芍薬については中国での研究において、肝炎を悪化させるとの報告があり、それを否定する人もあります。)
 又、当時電話で相談を受けた話で、他の薬局で小柴胡湯をもらって何ヶ月も続けているが、全く効かないがどうしたら良いかとか、ますますデーターが悪くなりますがどうしたら良いでしょうか。お宅に行ったら治して貰えるだろうか、との問合せも思い出します。
 当時、肝炎に有効であったと感じたのは清暑益気湯製剤や加味逍遙散くらいのものでした。そして、小柴胡湯証の肝炎患者であっても小柴胡湯は全く効かないのではないかとさえ、思い悩んだ時期が当分の間続きました。
 しかし、その後の経験と考察から小柴胡湯そのものに問題があるというよりも、この処方だけでは多くの場合片手落ちであることが判明した訳です。そして勿論、小柴胡湯証に思える病者の中でさえ、実はそうではなくて小柴胡湯そのものが全く不要であるばかりか、却って逆効果でさえあった場合も混在していたように思います。
 これらの事に気がついてからは、慢性肝炎患者の相談では苦労することも少なくなり、薬局製剤レベルでも十分対処出来ることにある程度の自信を持てるまでになりました。
 それにつけても一般の医療機関で小柴胡湯をもらって続けながらも一向に回復しない慢性肝炎患者がいかに多いことか! この現実には私にとって、全く当然と思えることながら、世の中の漢方薬に対する考え方の甘さを苦々しく思っている昨今です。
 これらの病者の一部は私の所で、あらずもがなの一般医療機関で投薬された小柴胡湯をなるべく有効利用出来るかたちで、病者と共に考えながら問題を解決して行っている訳です。
  

肝炎の漢方処方の為のヒント


 慢性肝炎の病証を日本流の方証相対レベルで考えるだけでは、最早時代遅れのようです。中西医結合的考察で、合理的判断が必要な時代だと思われますが、ここでは深く追及することはせず、私なりに重要な点と思われる二~三の事を、簡単に述べるにとどめておきます。
 まず、慢性肝炎と瘀血の問題は重要であるとして中国ばかりか日本での研究が盛んなようですが、私の経験だけから言わせてもらえば、桂枝茯苓湯は大して有効ではない場合が多いように感じました。随証投与によっても全く無効と思われる例もあり、一部にはデ^ターが悪化したと思われる例さえありました。
 肝炎患者の瘀血処理の問題は、傷寒、金匱レベルの処方では少々無理があると感じています。
 また、これに絡んで芍薬の品質の問題、あるいは芍薬そのものの肝臓機能に対する影響の善悪を徹底的に究明しておく必要があると思います。この点については日本での研究はどの程度進んでいるのでしょうか?
 肝臓と腎臓の関係も大変重要に思われます。それに直接関連した問題で、京都の細野史郎先生編著の「漢方治療の方証吟味」(創元社刊)中に、次のように言われています。長文ですが、そのまま引用させて頂きます。
 『思い返せばもう四〇年以上の前のことです。私が京大の松尾内科にいた時に、松田という一研究生が、高度の腎障害を起こさせた家兎で、腎臓に極めて親和性が強く九五%以上腎臓から排泄するフェノールフタレインという色素を使って、 肝臓の胆汁分泌の検査をやっているとき、正常家兎なら肝臓からはほとんど排泄しないはずの同色素が九〇%以上も排泄されることが偶然あってびっくりし、この実験を何度も何度も繰り返してみますと、いつもそれにほぼ近いデータが出るのです。そこではじめて問題になって、たとえ腎臓のみに親和性の強い色素でも、もし腎臓が排泄機能を行えないときは肝臓がその排泄を代行するのだなあということに気がついたのです。逆に、肝機能障害家兎をつくり、肝に親和性の高が強く、 その九五%以上も肝臓のみから排泄するアゾルビンSという色素を用いて実験してみると、やはり肝臓からのアゾルビンSの排泄は減って、腎臓から排泄されるのを見たのです。このような二様のデータから、肝腎相互の間には、少なくとも身体に不必要なものについてはこの両者が密接な相互補助の関係に立って生活現象を営むにちがいない。だからその治療の上にも、この生活現象を土台に、腎臓が悪ければ肝臓の力を高め、肝臓が弱ければ腎臓の力を助長するようにすると、両方どちらかの病気のときは治癒機転を促進させうるにちがいないと確信をもつようになりました。昔からの肝腎という考え方が科学的に実証され、この関係を利用するようにもなりました。
 皆さんご存じのように、漢方は水毒の起こらないような身体状態にもって行くというのを健康保持の一つの条件に考えておりますが、その治療法の上にも常に駆水性の強い生薬を用いて、その生理状態が円滑に運ばれる様にはかっているものだなあとの思いを深くします。』
(傍線は村田)

 これによっても、清暑益気湯、柴苓湯、六味丸等は、肝臓、腎臓の双方に作用する生薬が配合されている処方であるだけに、病態に応じて極めて有効であることが納得出来るように思います。
  

追及すれば問題が


 最近読んだ本で、最も強い衝撃を受けたものに「精神分析に別れを告げよう」(批評社刊)と題した行動療法の大家、H・J・アイゼンク著のフロイト批判の書物があります。私は全くの門外漢ながら、フロイト及び新フロイト学派の研究と著作に常に刮目し好んで愛読しつつ、人間の心の深層の問題、神経症や心身症の問題、のみならず文学や芸術分野、社会心理学等を考察して来ただけに、それはひどくショックな内容でした。
 フロイト理論の非科学性、のみならずフロイトのでっちあげ理論の数々の指摘、及び神経症治療等に対する精神分析治療の無効性など、フロイト及びフロイト学派に対する弾劾の書であり、一々納得出来る論証には腹立たしいくらいでした。翻訳者の七名の内、三名は実際に精神分析を行っている医学者であるだけに「本書は実に不愉快なしろものだった」とのあとがきは、その道のプロにとっては当然の感慨でしょう。
 ここで突然、精神分析批判の書物の話を持ち出したのは、門外漢である悲しさゆえに私自身が過去、フロイトや心フロイト学派の言われることの多くを鵜呑みにして来たように、一般の人々は新聞やテレビ等のマスコミが伝える「肝炎に小柴胡湯」という情報を鵜呑みにしてしまう危険性にたとえたかったからです。
 神経症等の治療にはパブロフの条件反射理論を基にした行動療法が極めて有効であり、精神分析療法は殆んど無効に近い、あるいは逆効果となり、病気を悪化させる現実さえあると言われる。それほどまでではないにせよ、「肝炎に小柴胡湯」という誇張された神話はどうしたことかと思うからです。
 そもそも小柴胡湯単方を投与して好結果を得たと言われる場合、その患者さんは密かに他の漢方薬、あるいは他の療法を行っていなかったかどうか等の背景までを、十分に調査した上でなければ断定は出来ない筈です。人々は慢性病に悩まされる時、各々の保身術として、いかなる対策をこうじているか。彼等の現実行動は千差万別であることの認識を持たない時、日本のこれからの漢方界は、慢性疾患に対する古方処方の単方を過大評価するあまり、精神分析療法と同じ批判を浴びることになりはしないでしょうか?
 と、このようないささか過激な発言が出てくるのも、最初に述べましたように、過去何年もの長きに亘って、求めに応じて相当な人数の方々に小柴胡湯単方を販売し続けた経験から来る苦い思い出。無効例が続出の経験ばかりだったからです。

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